表舞台から消えたふたりの天才投手が苦難を経て大学デビュー 「世界一の野球選手になる」目標は変わらない

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表舞台から消えたふたりの天才投手が苦難を経て大学デビュー 「世界一の野球選手になる」目標は変わらない

3月30日(木) 17:10

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投手とは繊細な生き物だ。

故障やふとした拍子に投球感覚を見失い、本来のパフォーマンスを発揮できなくなる。将来を嘱望された有望選手がマウンドから姿を消し、「消えた天才」などと称されることも珍しくない。

そうした哀しい現実を知る者としては、日本体育大の健志台野球場で見た希望に胸を震わせずにはいられなかった。

3月4日、敬愛大とのオープン戦で日本体育大のふたりの大器が「大学デビュー」を飾っている。



大阪桐蔭から日体大に進んだ関戸康介





【中学時代に146キロをマーク】新2年生の関戸康介は、最速150キロをマークするなど1イニングを投げて打者3人から2三振を奪った。身長177センチ、体重81キロの均整のとれた体つきと、打者に向かって加速するような迫力のある体重移動。この日登板した日本体育大の5投手のなかでも、ボールの勢いは頭ひとつ抜けていた。

「実戦は高校3年の夏前以来だったんですけど、いい緊張感のなかでいい準備ができました。先輩方が守ってくださって、いいマウンドになりました」

関戸は小学生時から全国区の知名度を誇る大物である。小学6年時にはソフトバンクジュニアに選ばれ、12球団ジュニアトーナメントで最速129キロをマーク。中学入学時に長崎から高知へと渡り、強豪・明徳義塾中では同期の田村俊介(現・広島)とともに看板選手に。中学生にして最速146キロをマークし、3年夏の全日本少年軟式野球では準優勝している。

大阪桐蔭に進学後、最高球速は154キロまで伸びた。高校3年春のセンバツでは小園健太(現・DeNA)らとともに「大会ビッグ4」に数えられた。

だが、関戸の甲子園デビューは痛々しいものになった。ボールが指にかからず、捕手が手を伸ばしても届かないような大暴投が続く。1回3分の1という短いイニングで記録した暴投数は4。以来、関戸の姿は表舞台から消えてしまう。

あの時、何が起きていたのか。あらためて関戸に尋ねてみた。

「冬の練習でバントした時に右手の人差し指を詰めて(挟んで)しまって。その前の春にも同じようにバントで右手の中指を詰めていたんですけど、そこから指先の感覚が戻らなくて。甲子園で投げたようなボールがずっと続いていました」

関戸は自他ともに認める完璧主義者である。小学校卒業時に人里離れた明徳義塾中で寮生活を送ったのも、一般受験で大阪桐蔭の門を叩いたのも「世界一の野球選手になるため」という大志があったから。自己啓発書など本を読み漁り、一流選手のマインドを手に入れようと取り組んできた。

だからこそ、「指先感覚を完全に戻したい」という思いが強かった。もがけばもがくほど、理想と現実のギャップに打ちのめされた。

「投げたいように投げられない時期が続いて、周りの目が気になって、投げやりになったこともありました」

「関戸は終わった」とうしろ指を指されるような日々。だが、西谷浩一監督、投手を中心に指導する石田寿也コーチ、同期の仲間たちが関戸を救ってくれた。

「どうしていいかわからないなか、西谷先生や指導者の方に毎日声をかけていただいて。人として、野球人として終わらないようサポートしてくださりました。その思いを無駄にしないよう、これからの自分の行動が大事になると思いました」

【恩師・西谷監督からの言葉】大学進学時にも第一志望校の受験に失敗したが、「環境は違っても自分が夢に向かってやることは変わらない」とモチベーションが下がることはなかった。紆余曲折の末、進学したのは投手指導に定評のある日本体育大。数々の逸材をプロの世界に送り込んできた辻孟彦コーチは、関戸にこんな声をかけたという。

「今はまだ注目度に実力が追いついてないかもしれない。でも、これから2年、3年と経った時に『関戸ってやっぱりすごいやん!』と言われるようになろう」

大学入学後の関戸は実戦から離れ、土台固めに時間を費やした。キャッチボールでは両足を広く開いた状態で体重移動し、投げる練習を繰り返した。関戸には、ある狙いがあった。

「指先の感覚は自分ではどうしようもないので、『指先以外のところで修正しよう』と辻さんにアドバイスをいただきました。そこでキャッチボールから下半身を固定した状態で投げる練習を繰り返して、『下半身主導で右腕が振られる』感覚を身につけていきました」

自分の意のままにボールを操るのではなく、結果的にリリース時にボールが指先にかかればいい。そう考え方を変えると、少しずつ指先にかかるボールが増えていった。関戸は高校時代に西谷監督からかけられた言葉を思い出していた。

「考えなくていいところで考えて、考えるべきところを考えてないとよく言われていたんです。大学に入って自分を客観的に見られるようになってから、ようやく西谷先生の言っていた意味がわかってきたような気がします」

久米島キャンプでの紅白戦では最速152キロをマーク。関戸は手応えを深めてオープン戦での初登板を迎えたのだった。

先頭打者に対して初球から球筋が荒れ、3球連続でボール球を続けた。それでも関戸は焦ることなく、次のボールに向けて気持ちを切り替えた。ストライクを続け、最後は指にかかった149キロのストレートを突き刺して見逃し三振を奪った。

課題はまだまだある。それでも、関戸の「世界一の野球選手」という目標は変わっていない。

「焦ることなく、でも休むことなく、やっていきます。大学3〜4年になった時に思い描いた投球ができるよう、準備していきます」



星稜高時代「スーパー1年生」として注目を集めた寺西成騎





【高校1年夏に衝撃の甲子園デビュー】関戸が対外試合初登板を果たした同日、新3年生の右腕・寺西成騎も対外試合初登板を終えていた。

本来なら2イニングを投げる予定だったが、1回を2奪三振、無失点に抑えたところで交代が告げられた。その理由を辻コーチは苦笑交じりにこう語った。

「練習での投球より5〜6キロも速いスピードが出ていたので、念には念を入れて1イニングで止めておきました」

この日計測した148キロは自己最速を2キロ更新する球速だった。登板後、寺西は興奮を隠すように、こう語った。

「純粋に『野球してるなぁ』となつかしかったですし、うれしかったですね」

寺西が「なつかしい」と語るのも無理はない。なにしろ3年以上もの長い間、実戦マウンドから遠ざかっていたのだ。

寺西の名前が全国区になったのは、2018年夏の甲子園でのことだ。当時星稜に在学し、1年生だった寺西は同期の内山壮真(現・ヤクルト)とともに「スーパー1年生」と注目された。身長186センチの長身ながら、端正な投球フォームで最速143キロをマーク。その時点での寺西は、2年後のドラフト会議の主役になっても不思議ではない金の卵だった。

だが、順風満帆だった野球人生に影が差したのは、高校2年の夏だった。右肩を痛め、3年時には手術を経験。大学進学後もリハビリは続き、寺西は「よくなったと思ったら悪くなるの繰り返しでした」と振り返る。

「3年間」と口にすれば一瞬だ。だが、光の見えない暗闇でもがく時間は限りなく長く感じたに違いない。寺西のリハビリを伴走してきた辻コーチは言う。

「丁寧に時間をかけて、練習で何球投げたら何日も間隔を空けて......と慎重に手順を踏んできたんです。去年の秋前になって『ようやく希望の光が見えてきた』と感じた矢先に、また肩が痛くなって。あぁ、また1からやり直しか......と。あきらめてもおかしくない、苦しい日々だったと思います」

失意の寺西を支えたのは、家族からの励ましの声だった。とくに母・智江さんに「また投げる姿を見てもらいたい」という思いが原動力になった。

「ウチの母はすごく心配性なのか、寮で食べるものの仕送りを頼むと手紙がついてるんです。『一歩一歩、焦らずにいこう』とか添えてあって、めっちゃ心配かけてるなと。信じて応援してくれる家族のために、『ここまで投げられるようになったんだよ』って姿を見せたかったんです」

悪戦苦闘する寺西に、ようやく光が差し込む。大学OBの柴田大地(現・ヤクルト)が通った病院を受診したところ、そのリハビリ方法が肌に合ったのだ。肩の痛みは少しずつやわらいでいった。

「痛くなかった頃と比べると、温まるまで時間がかかります。入念にインナー、キャッチボールをしてから、ブルペンに入るようにしています」

美しい投球フォームは今も健在だ。そして、そのポテンシャルはまだ底を見せていない。寺西自身も「体ももう少し大きくなると思うので、自分に期待したいです」とはにかむ。

関戸も寺西も、まだ大学野球の公式戦で結果を残したわけではない。また、今春のリーグ戦で戦力になれるかも不透明だ。辻コーチは「2人とも戦力になってくれたらありがたいですが」と前置きしつつ、こう続けた。

「2人とも目の前の段階をひとつずつクリアしていって、春のリーグ戦にいい形で入れればベストです。でも、僕は間に合わなくてもいいと思っています。彼らはすばらしいものを持っていますし、焦らずにやってきたことが次につながるはず。大学野球って、そんな場所だと思うんです」

日本体育大では偉大な先例もある。大学2年時にトミー・ジョン手術を受けながら、社会人経由でプロ入りした大貫晋一(DeNA)である。大学野球のステージで結果を残せれば言うことなしだが、それがすべてではない。なかには野球選手としてのゴールがもっと先にある選手もいるのだ。

関戸康介と寺西成騎という大器たちは、満天下にその力を見せつけるための大きな一歩を踏み出したばかりだ。

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