「アニソンの帝王」とし長きにわたってたくさんのファンに愛された歌手・水木一郎氏が去る12月6日に亡くなられた。
フリーランス・ディレクター&編集者である高島幹雄氏に水木氏の歩み、また仕事で関わった時の思い出を綴って頂いた。併せて、水木氏が主題歌を担当した主要テレビ作品リストも掲載する。(編集部)
>>>2023年1月発売!水木一郎アニソンデビュー50周年記念ベストアルバムのジャケットを見る(写真5点)アニメソングの帝王、そしてアニキ、水木一郎さんが亡くなってしまった。
緊急搬送先の病院にて、12月6日午後6時50分に永眠。享年74歳。
2021年4月、声帯不全麻痺の症状をきっかけに肺がんが発覚して以来、1年7ヶ月余りの闘病だった。
肺がんを公表したのは今年7月下旬のこと。「生涯現役」を目指すと宣言した。その言葉通り、春夏恒例の大きなアニソンライブで、7月の『ANIME JAPAN FES 2022』(AJF)、8月には『スーパーアニソン魂 2022 ~THE LEGEND~』に出演。2002年の初起用以来歌い続けてきた「燃えよドラゴンズ」の最新版を闘病公表後の8月にレコーディングした。
最後のライブ出演は、11月27日に行われた堀江美都子さんとのコンサート『ふたりのアニソン#19』。亡くなる直前の12月3日には配信番組『マジンガーZ50周年記念特番Z』に事前収録で出演。アップルパイ、ザ☆カインズといった愛弟子たちのコーラスで、オープニング・テーマだけでなくエンディング・テーマも歌った。「生涯現役」を全うした。
訃報がオフィシャルサイトとご本人及び事務所スタッフのTwitterアカウントから12/12に伝えられた。その当日から翌日にかけてのニュースやワイドショーの多くは、放送時間を割いて経歴や歌の数々、海外に招かれた際のライブ映像、最後の出演ライブの模様も紹介しており、水木一郎さんのこれまでの活動、『マジンガーZ』をはじめとしたアニメ・特撮主題歌の影響力が、コアなアニソンのファン以外にも如何に大きなものであったかを再認識することとなった。
水木一郎さんは1968年7月、20歳の時に「君に捧げる僕の歌」で歌謡曲の歌手としてデビュー後、1970年までの間に5枚のシングルを発表したが、ヒットに恵まれなかった。この当時の楽曲は、2018年に発売された『水木一郎 デビュー50周年記念アルバム Just My Life』で聴くことができる。
結婚を機に作曲家への転身を考えた時、日本コロムビアのディレクターからアニメ主題歌を歌うことを勧められる、それが、石ノ森章太郎原作の『原始少年リュウ』(1971)だった。その後『変身忍者嵐』、『超人バロム・1』(共に1972)といった特撮ヒーロー番組の他、アニメ番組の主題歌を次々と歌った。『マジンガーZ』が誕生したのも、この年の年末のことである。
歌手の写真がジャケットに出ることはなく、アニソンという言葉がまだない、アニメ番組と特撮番組の総称で「テレビまんが」と呼ばれていた時代。1976年からはNHK『おかあさんといっしょ』に歌のおにいさんとしてレギュラー出演。それまでのテレビまんが主題歌に加えて、同番組の歌も多くレコーディングした。
1976年にはまた、初めてジャケットに自身の写真がメインになったテレビ主題歌のベストアルバム『水木一郎/テレビ主題歌を歌う』がリリース。テレビまんがで育った世代が中高生となった頃の1977年、『宇宙戦艦ヤマト』を中心にした最初のアニメブームの影響もあり、歌手・水木一郎も知られるようになっていった。
80年代末期には小堺一機、関根勤のラジオ番組『コサキン無理矢理100%』(TBSラジオ)で、水木一郎さんの歌がネタ的に放送されると、歌の中にある独特の「雄叫び」に次第に注目が集まり、それを受けてCDとしては初のベスト・アルバム『OTAKEBI参上! 吠える男 水木一郎ベスト』を1989年にリリース。これが好評で第2弾もリリースした。
次のターニング・ポイントは1997年のこの出来事だろうか。『マジンガーZ』をはじめかつて歌ったスーパーロボットアニメの主題歌をセルフカヴァーしたアルバム『ROBONATION/ICHIROU MIZUKI SUPER ROBOT COMPLETE』とそのライブで1997年8月に赤坂BLITZで開催の『ROBONATION SUPER LIVE 97 SUMMER』。ゲームソフト『スーパーロボット大戦』シリーズと連動して、その後もライブやCDリリースが継続した。水木一郎さんを中心にしたライブはその後のAJF、スーパーアニソン魂などに発展していった。
翌1998年に始まったフジテレビ系のアニソン番組『快進撃TVうたえモン』にほぼレギュラーのように出演。この番組の企画で伝説の「24時間1000曲ライブ」を河口湖ステラシアターで開催した。周囲には水木一郎さんの喉を心配する声もあった。筆者はこの当時に、今年96歳で亡くなられた『マジンガーZ』の作曲家・渡辺宙明さんから「『喉をつぶすからお止めなさい』と電話で話したんですよ」という話も伺っていた。『快進撃TVうたえモン』の最終回でもあった1000曲ライブは成功に終わり、これ以降、テレビ出演の機会が以前より増えた。
近年、筆者が雑誌の取材でお話を伺った時に「一生の中でチャンスは何回もないと言われてますけど、僕の場合、10年おきに来るんです」と語っていた。
2000年代は活躍の幅はさらに広がった。中日ドラゴンズ応援歌「燃えよドラゴンズ」、秋田県のローカルヒーロー「超神ネイガー」のテーマソング、NHK『みんなのうた』、2019年に始まったテレビ朝日系のバラエティ番組『超人女子戦士 ガリベンガーV』の主題歌(初期はナレーションも担当)など、多岐にわたるジャンルで水木一郎さんの「声」が求められた。
50歳の2000年に発行の本『アニキ魂』の中で、アニソンで活躍する仲間たちと共に「21世紀の子どもたちに夢を与え、日本のアニメソングを世界に広めてゆくことが、これからの俺の夢なのである」と綴った。還暦を迎えた2008年にシンガポールの『アニメ・フェスティバル・アジア』に出演、2015年には日・中米交流年の開幕記念イベントとしてコスタリカに招へいされての単独ライブが開催された。
「トニー・ベネットのように90代になっても歌い続けたい」とも語っていた水木一郎さんは、それを体現するようにますますの活躍中だった。我々が失ったものはあまりにも大きい。
ここで筆者個人の思い出を書かせて頂きたい。
高校1年生の頃から通っていた日本コロムビアの今は無い部署名、学芸部にいらしてディレクターや宣伝担当と談笑している姿を何回も見かけた。1984年にLPレコード4枚組の初めての全集『水木一郎 熱唱! 男の詩 アニメ特撮 ベスト71』が発売。この封入特典のカラーポートレートに直筆サインを書き込んでいた時は、たまたま近くにいた。
何枚かに1回、名前の他に男の子の顔を書き添えて、「コレが付いているのは当たり」と言っていたのが記憶に残っている。この頃に言葉を交わしたのは、色紙にサインを書いて頂いた1回だけだった。
そして、歳月を経た1998年。日本コロムビアにいる同学年の友人でもあったディレクターから、当時バップで勤務するディレクターだった筆者に水木一郎さんのデビュー30周年記念の5枚組CD-BOXの企画について相談を受けた。まず頭に浮かんだ『熱風伝説』というタイトルが採用された。収録内容の選曲・構成、封入ブックレット内の解説ページや、帯に載せるキャッチまで作った。キャッチの中で、水木一郎さんの歌声を熱風ボイスと形容させて頂いた。
この当時は、レコーディングした順番に収録の『水木一郎大全集』という各2枚組で全5巻のCDが発売中だったので、歴史をまとめる内容ではなく、「歌のテーマパーク」を作ろうと考え、スーパーロボット、スポーツアニメ、曲数が多い『仮面ライダー』、その他の特撮ヒーローといったテーマごとにコーナーを作って、楽曲を配列した。このBOXは好評で、1999年1月に同じ規模のCD5枚組で続編の『熱風外伝』も発売することができた。CD-BOXでも合計10枚になった。
『熱風伝説』の制作時にお会いすることは無かったが、発売後まもない頃、スタッフの方に招いて頂いた(確か)渋谷のegg-manでのライブ後に、付近の居酒屋で行われた打上げの席上で初対面。『熱風伝説』についてお褒めの言葉を頂いた。「今までに無い曲順で、良い全集を企画してくれた」という旨のことだったと記憶している。
宴が終わり、店の出入り口にある靴入れの場で、タイミングが一緒になった。ほろ酔いの水木さんは「僕はいつも魂をこめて歌っているからさ…」と、ポツリと語った。この言葉で受けたインパクトが強くて、それに続けてなんとおっしゃったのか思い出せない。
これ以降、ライブの現場でご挨拶させて頂いたり、取材だったり、いろいろな時、場所での水木一郎さんが思い出される。こちらから見て水木一郎さんが後ろ姿の状態だったり、別室にいる状態の時には「その声は?」と言いながら振り返ったり、部屋から出てきた時の笑顔と声も忘れられない。
堀江美都子さんとの『ふたりのアニソン』は、結果的に初期の2、3回を拝見させて頂いただけになってしまったが、このライブの企画が初の試みとして立ち上がった頃、お2人それぞれの関係者から構成のアイデアを欲しいとのことでお声がけを頂いて、渋谷の居酒屋で皆さんと共にライブについて話したことは、とても光栄で貴重な思い出だ(これについては実際、お役に立てたのかどうかは疑問だが……)。
筆者が選曲・出演のラジオ番組(ミュージックバード制作、全国のコミュニティFMで放送の『週刊メディア通信』)にも数年に一度、アルバムのリリースがある時にゲスト出演して頂いていた。そのある時、リスナーからのリクエストもあって「ゼーット!」の雄叫びをお願いすると、ご快諾で即やってくださった。収録中はヘッドフォンを付けてのトークなので、その雄叫びを耳に直接受けたに等しい衝撃。その声の音圧はすごかった。
最後にゲスト出演して頂いたのは2018年、先述のデビュー50周年記念アルバムが発売された時だった。
水木一郎さん、あなたがレコーディングしてきた1200曲以上に及ぶ楽曲、DVDなどのライブ映像から聞こえる歌声は、あなたの分身です。今後も人々の心に、世界中に響き渡っていくことでしょう。
90代になっても歌い続けたいと思っていた水木さんにとっては、想定外の闘病だったことでしょう。本当にお疲れ様でした。
そして、たくさんの歌の数々とそれにまつわる思い出、水木さんを通しての人との出会いを、ありがとうございました。
高島幹雄
●水木一郎 主要テレビ主題歌歌唱作品一覧●
膨大な楽曲群から、オープニング・テーマ及びエンディングテーマを歌唱した主要なテレビアニメーション、テレビ特撮作品を紹介する。
ここに挙げた以外にも、『人造人間キカイダー』の名曲「ハカイダーの歌」のように挿入歌のみ歌唱の番組や、オリジナルビデオアニメにも『破邪大星ダンガイオー』(1987)の主題歌で堀江美都子とのデュエット曲「CROSS FIGHT!」など人気楽曲が多数。また、数年間空いてる期間もキッズソング、イメージソングなどのレコーディングも行ってきた。
【テレビアニメーション作品】
1971年
『原始少年リュウ』
1972年
『アストロガンガー』
『マジンガーZ』
1973年
『バビル2世』
『侍ジャイアンツ』(「松本茂之」名義でレコード発売)
1974年
『グレートマジンガー』
『ウリクペン救助隊』
1975年
『宇宙の騎士テッカマン』
『鋼鉄ジーグ』
1976年
『超電磁ロボ コン・バトラーV』
『マシンハヤブサ』
『ゴワッパー5 ゴーダム』
『マグネロボ ガ・キーン』
1977年
『合身戦隊メカンダーロボ』
『氷河戦士ガイスラッガー』
『超電磁マシーン ボルテスV』
『超人戦隊バラタック』
『アローエンブレム グランプリの鷹』
1978年
『宇宙海賊キャプテンハーロック』
『ルパン三世』
1979年
『新・巨人の星II』
『野球狂の詩 北の狼 南の虎』
1980年
『燃えろアーサー 白馬の王子』
『ムーの白鯨』
『とんでも戦士ムテキング』
1981年
『百獣王ゴライオン』
『タイガーマスク二世』
1982年
『ゲームセンターあらし』
『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』
1985年
『プロゴルファー猿』
1989年
『かりあげクン』
『ジャングル大帝』
1990年
『トランスフォーマーZ』
1991年
『ゲッターロボ號』
『炎の闘球児 ドッジ弾平』
【特撮テーマソング】
1972年
『超人バロム・1』
『変身忍者 嵐』
『行け!ゴッドマン』(「山本一郎」名義でのレコード発売)
1973年
『仮面ライダーV3』
『ロボット刑事』
『白獅子仮面』
『イナズマン』
1974年
『仮面ライダーX』
『イナズマンF』
『がんばれ!! ロボコン』
1975年
『仮面ライダーストロンガー』
『冒険ロックバット』
『少年探偵団』
『アクマイザー3』
1976年
『ザ・カゲスター』
『忍者キャプター』
1977年
『快傑ズバット』
『大鉄人17』
『冒険ファミリー ここは惑星0番地』
1978年
『恐竜戦隊コセイドン』
1979年
『炎の超人メガロマン』
『仮面ライダー(スカイライダー)』
1983年
『アンドロメロス』(1981年に雑誌連載のイメージソングとして発売)
1986年
『時空戦士スピルバン』
1987年
『超人機メタルダー』
1999年
『ボイスラッガー』
2007年
『獣拳戦隊ゲキレンジャー』
2016年
『ウルトラマンオーブ』
2017年
『ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE』
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