吉田拓郎、70年代に自ら幕を引き新しいことに挑み続けた40代の軌跡

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吉田拓郎、70年代に自ら幕を引き新しいことに挑み続けた40代の軌跡

9月16日(金) 7:00

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年8月の特集は「吉田拓郎」。今年でアーティスト活動に終止符を打つと表明した吉田拓郎の軌跡をたどる5週間。パート4では、拓郎が40代から50代にかけて制作した楽曲とともに辿っていく。

こんばんは。 FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは、吉田拓郎さんの「アウトロ」。6月に発売になったアルバム『ah-面白かった』の中の曲です。今月の前テーマはこの曲です。音楽にはイントロとアウトロというのがあります。始まりと終わりですね。「アウトロ」というのは締めくくりです。拓郎さんの音楽人生の締めくくり。今月2022年8月の特集は吉田拓郎。

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今週はパート4週目。40代から50代にかけて拓郎さんが残した曲を、お聴きいただこうと思います。40歳が今とは全く違う意味を持った年齢でしたね。30歳以上は信じるなという、とんでもないことを言ってた70年代の若者にとって、30歳も大きな壁だったんですが、そのはるか先に40歳があった。若者文化の旗手として新しい時代を作ってきたパイオニアにとって、40歳がどういう年齢だったのか。つまり、そういう前例がなかったわけですね。僕ら70年代の音楽好きな人、誰もが憧れて夢見たヒーローだったジョン・レノンが40歳で死んでしまいました。40歳を超えてからのお手本がいなかった。拓郎さんが30代後半にしきりに口にしたことがありました。ジョン・レノンが死んだ40歳までは歌う。今日の1曲目は 拓郎さん39歳のときのアルバム『俺が愛した馬鹿』から「誕生日」です。



誕生日を「祝ってなんかくれるなよ」と歌っておりますね。「人生は一本の道だった筈 僕はその道にも迷ったらしい」。率直な心境だったんでしょうね。今週の1曲目が、この「誕生日」だったことをしっかりと覚えておいていただけると嬉しいです。来週の1曲目が何かということも予想しながら今週を終えると、来週がきっともっと面白くなると思います。



この『俺が愛した馬鹿』が出た1985年は、拓郎さんが39歳。30代最後の年だっただけではなくて、日本の音楽シーンのものすごく大きな転機の年だったんですね。その一つに、この後お話しする「ALL TOGETHER NOW」というイベントや、拓郎さんが3度目のオールナイトイベントを行ったりした年でもありました。



1984年10月発売のアルバム『FOREVER YOUNG』から「大阪行きは何番ホーム」。いろんな気持ち、いろんな思いを吹っ切って、畳み掛けるような字余りソング。これぞ拓郎節と言っていいでしょうね。私も含めて拓郎さんを好きな人、拓郎ファンと呼ばれる人は、これが一番好きだという方が多いんではないでしょうか?「家を捨てたんじゃなかったのか」という叫びですね。拓郎さん、38歳。反抗的だった若者たちが、40代直前にどんな心境になったか。若かった頃の理想とか価値観は、現実の前で脆くも崩れたり、志を曲げなければいけない場面がたくさんあった。反抗的で家を捨てようと思った若者も家族を持つようになった。そんな年齢でもありました。

音楽シーンが激変した年でもあります。1985年6月に国立競技場で「ALL TOGETHER NOW」というイベントがありました。国立競技場が初めて音楽に使われた。6万5000人、7万人近い人が集まった。司会が拓郎さんだったんですね。オフコースとか、サディスティック・ミカ・バンド、サザンオールスターズ、佐野元春さん、チューリップとか、70年代の世代と80年代の世代が出会った。はっぴいえんどが12年ぶりに再結成された。そんなイベントだったんですね。

このイベントを細野晴臣さんは「ニューミュージックのお葬式」と、ちょっとシニカルに言いました。70年代に幕を引くという、そんなイベントに思われたんでしょう。僕はバトンをタッチされたと思ったんですね。この70年代にどうケリをつけるかが、80年代半ば、70年代に活躍した人たちの一つのテーマだった。

拓郎さんが個人で催したイベントがありました。85年7月27日から28日にかけてのオールナイトイベント「ONE LAST NIGHT IN つま恋」。その話は、この曲の後にお聞きいただこうと思います。アルバム 『FOREVER YOUNG』からもう1曲、拓郎節の曲です。





さっきお話した「ONE LAST NIGHT IN つま恋」というイベントは、7月27日の午後5時から始まって、延々一晩中行われたんですね。次の日の朝、太陽が昇ってもまだ演奏が続いていた。この日は、かぐや姫とか、 愛奴とか猫、新六文銭、70年代に拓郎さんに縁のあったバンドが再結成したイベントでもあったんですね。拓郎さんが歌った曲がなんと72曲です。最後の曲は、「明日に向って走れ」だった。拓郎さんはこのイベントの前に、生涯最良の日にしたいとずっと言っていたんですが、70年代の盛大な同窓会、それこそ70年代に幕を引く。そんなイベントでもありました。この「7月26日未明」は、「人生を語らず」の30代編とも聴けるのではないでしょうか?

自分の30代にけじめをつけて、70年代の幕を引いて、40代になったんですね。40代最初のアルバムが86年9月に出た『サマルカンド・ブルー』で、加藤和彦さんがプロデュースして、全曲安井かずみさんが詞を書いた。レコーディングが、ジョン・レノンが亡くなったNYだったんですね。拓郎さんはボーカリストに徹したんです。曲も10曲中7曲しか書かなかった。つまり40代は違う形で迎えたい。1人のボーカリストとして、もう1回始めたいということだったんでしょう。新しいことに取り組んでいる、40代。コンピュータ打ち込みのアルバム。80年代後半のアルバムは、全曲自宅録音でベーシックが作られたアルバムが続きました。

当時のインタビューでは、やり尽くしたという発言がたくさんありました。俺のやることはやったんだ、もうやることがないんだ。ツアーは1988年、そして89年に、初めて東京ドームのステージにも立つんですね。そうやって考えると、どうやって新しい時代を迎えるか、どうやって次の自分であろうとするかを、ずっと問い続けてきた人でもあるんだなと改めて思ったりもしております。90年代になってから制作されたアルバムから2曲をお聴きいただこうと思います。91年6月のアルバム『detente』の中の「たえなる時に」、92年7月のアルバム『吉田町の唄』から「吉田町の唄」。







1991年のアルバム『detente』から「たえなる時に」と、92年のアルバム『吉田町の唄』から「吉田町の唄」、2曲続けてお聞きいただきました。45歳と46歳の拓郎さんです。「たえなる時に」は「愛でないものは あるはずがない」。そして「吉田町の唄」は「のびやかに しなやかに 育てよ子供」と歌っているわけです。冒頭の「人生は一本の道だった筈 僕はその道にも迷ったらしい」とか「家を捨てたんじゃなかったのか」という自省の歌とはちょっと違ってきた。これだけ変わり続けてきた人はいないんではないかという見方もできると思うんですね。まず、格好。ヘアスタイル。それぞれの時代で全く違いますからね。ロングヘアからカーリーヘアになり、ショートカットで空を見てるのが『detente』のジャケットでした。曲調、そして曲層も変わってきてますね。でも変わっていないのは、ずっと人生を歌い続けてきてることです。そしてその中で、人を好きになることの意味みたいなこともずっと追い続けてきて、それが表現として、その時代その時代なりのものが歌になっている。そういう50数年だったんだと思います。

「吉田町の唄」は、自分の人生をたどってみせたわけですからね。時代や社会ではなく自分のことを歌うようになった。やっぱり変わらないのが、やったことのないことをやるという姿勢でもあったと思います。いろんなことに飽きて、次のことを始めてきた。40代最後のアルバムが、バハマ録音だったんですね。その中から2曲をお聴きただきます。







1995年6月発売、拓郎さん40代最後のアルバム『Long time no see』から「永遠の嘘をついてくれ」、そして「君のスピードで」2曲をお聴きいただきました。

40代最後のアルバム『Long time no see』は海外録音だったんですね。1980年にロサンゼルスでレコーディングされた『Shangri-La』、そして1985年にニューヨークで行われた『サマルカンド・ブルー』。2枚の海外録音のアルバムがあるんですけど、この『Long time no see』は場所がバハマ、スタジオがコンパスポイント。ローリング・ストーンズとかボブ・マーリーが使うことで知られるようになったスタジオですね。

集まったミュージシャンが、ドラムがRuss Kunkel、ベースがLee Sklar、キーボードがCraig Doerge、ギターがDavid Lindley、ジャクソン・ブラウンのセクションというバンドがありまして、そのメンバーが中心だったんですね。しかもバハマに1軒家を借りて、彼らはロサンゼルスから来て合宿してたんです。更に、ニューヨークから和食の料理人を呼んで、みんなで食事をするという、そういうレコーディングでした。なんでそういうレコーディングをしたかというと、自分が若かった頃に憧れて、今でも現役の人たちと一緒に音楽を作りたいということでした。

音楽人生の40代最後、50代を迎える前に、もう1回ピュアな形でやり直したい、確かめたいということで、そういうレコーディングだったんですね。このセクションも当時解散状態で、このレコーディングでみんな改めて集まった。メンバーのインタビューもしてるんですけど、Russ KunkelもDavid Lindleyも、これは俺たちにとってもリユニオン=再会なんだという話をしておりました。

このアルバムで初めて詞曲を頼んだ相手が、中島みゆきさんだった。それが「永遠の嘘をついてくれ」ですね。「永遠の嘘をついてくれ」はみゆきさんにとっての拓郎節でしょうね。その後にお聴きいただいた「君のスピードで」は、当時拓郎さんが一番納得していた、この曲が書けて本当に嬉しいと言っていた曲ですね。人を好きになるということを、こんなふうに肯定的に歌った。30代までは少なかったです。

50代を迎えて、今までやってなかったことをやりたいという話が出ました。それがテレビだったんです。初めてレギュラーの音楽番組を持つようになりました。そのテーマをお聴きいただきます。



初めてのテレビのレギュラー音楽番組「LOVE LOVE あいしてる」の主題歌「全部だきしめて」。ここでKinKi Kidsと出会ったわけですね。拓郎さんは40代後半ぐらいからずっと、若い奴は嫌いだって言ってましたからね(笑)。番組が始まった当時、フォーライフレコードや事務所のスタッフとスタジオで立ち会ってましたけど、辞表を懐にスタジオに通ってましたね。テレビ局のエンジニアの人たちと意見が合わなくて、エンジニアの人たちが何人も変わりました。そしてプロデューサーの菊地さんと、俺たちの音楽はそういうもんじゃないんだ、俺たちの音楽は生き方なんだという話をしていた記憶があります。それが人生を変えた出会いになった。50代の拓郎さんが始まり。来週に続きます。





FM COCOLO J-POP LEGEND FORUM、アーティスト活動に終止符を打つと表明した吉田拓郎さんの軌跡をたどる5週間、今週は、Part 4。50代になりました。流れてるのはこの番組のテーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

40代になることも若い頃には想像できなかったことですけど、50代というのはもっと信じられない、そんな時が来ること自体が想像できないという年齢でもあったんですね。50代を迎えるときに、いろんな話が周りにありました。例えば、武道館で大々的なイベントをやるのはどうだろうとか。拓郎さんはその時に、義理で来る人はいらない、そういう人には来て欲しくないという話をしてた記憶があります。次の日から俺のことなんかどうでもよくなってしまうような人たちとではなく、自分の音楽と共に生きてきた人と祝いたいということで企画が持ち上がったんですね。

それはハワイでのイベントだった。しかもカップルを呼びたいと。当時FM局で拓郎さんの番組をやっていて、僕が構成していたんですが、リスナーを呼びたい、カップルで来てほしいと言っていた。拓郎!って叫ぶ男は来なくていい、と(笑)。自分たちの人生をしみじみと、愛する人と一緒に過ごしたいと。拓郎さんは自分からバスガイドを買って出て、ハワイはこんなにいいところなんだってことを車内でマイクを持って案内したりしていた。こんな面があるんだって思わされたイベントでしたね。ハレクラニホテルというハワイで最高級のホテルだったんですが、そこの宴会場でパーティーが行われて、拓郎さんは宴会場の厨房と連絡を取ってました。こういうイベントなんでこういう料理にしてほしい、こういう時間を過ごしたいんだ、と。こんな話はきっとラジオでされたくないだろうなと思いながら、最後の放送になるかもしれないということでお話しております。50代以降の歌は来週お聴きいただこうと思います。そして今日の1曲目は「誕生日」だった。これはお忘れなく来週を迎えていただけると嬉しいです。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

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