伝説の写真家の志に共鳴…ジョニー・デップが挑んだ、水俣病を描く覚悟と熱意

ジョニー・デップが『MINAMATA―ミナマタ―』に込めた強い想いとは?/[c] Larry Horricks

伝説の写真家の志に共鳴…ジョニー・デップが挑んだ、水俣病を描く覚悟と熱意

10月9日(土) 18:00

日本の“水俣病”を取材し、その存在を世界に知らしめた写真集「MINAMATA」。この写真集を手掛けた伝説の写真家、W.ユージン・スミスを主人公に、水俣病の患者とその家族の姿を描いた映画『MINAMATA―ミナマタ―』が公開中だ。主演のジョニー・デップはオファーを受ける条件として「水俣の物語を正しく伝えたい」と、本作にプロデューサーとしても参画することを切望。デップが挑んだユージン役、そして水俣病をめぐる歴史を描くことへの想いを紹介していきたい。
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■写真界の巨匠が命を懸けて取り組んだ、最後の写真集を映像化

熊本県水俣市のチッソ水俣工場による工業廃水を原因とし、現在も訴訟が続く、日本の“四大公害病”の一つ、水俣病。本作はユージンと彼の当時の妻、アイリーン・美緒子・スミスが1975年に発表した写真集「MINAMATA」を原案にした作品だ。共演はビル・ナイ、日本からは真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子など実力派が集結。音楽は坂本龍一が手掛け、監督には映画製作で実績を残す一方で、写真や抽象絵画の作品で評価されているアーティスト、アンドリュー・レヴィタスが抜擢された。

1971年のニューヨーク、報道写真家として功績を評価されながらも心に傷を抱くユージンは、いまでは酒に溺れ、孤独な生活を送っていた。そんな時、仕事で出会った女性アイリーンから、高度成長期の日本で起こっている水俣病の話を聞く。彼女とともに水俣市を訪れたユージンは1971~73年の3年間、現地に滞在。数々の妨害に屈することなく、公害汚染に苦しむ市民たちに寄り添い、彼らの日常や抗議運動の様子を何百枚もの写真に収めていく。

ユージンは、“真実”の瞬間を捉え、ドキュメンタリー写真を芸術の域にまで高めた写真界の巨匠。次世代の写真家たちに多大な影響を与え、生誕100年・没後40年の2018年に、日本でも大規模な回顧展が開催されるなど、いまなお注目されている人物だ。第二次世界大戦中は太平洋戦争に従軍し、サイパンや硫黄島、沖縄を撮影。沖縄では迫撃砲弾を受け、心身に深い傷を負う。ユージンが妻のアイリーンとともに命を懸けて撮影に取り組んだ「MINAMATA」は彼の代表作であり、遺作ともなった。

■憧れの存在をジョニー・デップが見事に体現!

自身も写真家として活躍するデップにとって、ユージンは20代前半に初めて彼の作品に出会って以来、憧れの存在だった。数多くのすばらしいキャラクターを演じてきたデップの長いキャリアのなかでも、ユージン役の重みは格別。「ユージンの生きてきた証、成し遂げてきたこと、それらを演じることに責任を感じました」というデップは、様々な関連書籍を読み、ユージンを知る人々と会い、彼らとの会話で得た知識をすべて役作りに注ぎ込んでいった。

まず驚かされるのが、ベレー帽をかぶり、眼鏡をかけ、ひげを生やしたデップの姿がユージン本人にそっくりであること。もちろん、デップの役作りはビジュアルだけにとどまらない。戦時中の過酷な取材で傷つき、そのトラウマから長らく苦しんでいたユージンの内面を繊細に表現。本作を鑑賞したアイリーン本人が「本物のユージンとジョニーが重なるところがあった」と語るほど、人生に絶望していた男が再びカメラを手に取り、新たな闘いに身を投じていく生き様を全身で演じきった。また、「MINAMATA」に収められた写真のなかでも特に傑作との呼び声が高い1枚、まるで聖母子像のピエタを連想させる「入浴する智子と母」を、ユージンとアイリーンが共同で撮影するシーンの静謐な美しさも必見だ。

■いまなお続く被害者たちの闘いを、世界へ発信

水俣病が公式に確認されたのは1956年(1968年に公害認定)。65年が経った現在も被害者による様々な訴訟が続いている。日頃から環境問題について確固としたビジョンを掲げてきたデップは、水俣病に関する記事を読み、「実際にそれが起こったという事実以上に、その影響が解決されたわけではなく、いまだに続いているということが衝撃的」だと語る。環境問題に関心を持つ一人の人間として、彼が「この歴史は語り継がれなければならない」と強く感じたのは、いまも世界中で公害や環境汚染の問題が起きているからだ。

本作では、企業の責任と損害賠償を求めてチッソを提訴した活動家グループの闘いもしっかり描かれている。水俣病で苦しむ我が子への愛情や自身の尊厳のために、市井の人々が大企業や政府に立ち向かい、裁判で勝利を勝ち取るまでの姿からは「一人一人は小さな力でも、団結すれば強くなれる」というデップのメッセージが伝わってくる。映画の持つ力をフルに活用して、水俣の現実を世に知らせ、より多くの人に関心を持ってもらうこと。それこそが、本作の製作にチャレンジした彼の願いだ。

■1970年代の水俣市を再現した、セルビアとモンテネグロでの撮影

日本を舞台にしたハリウッド映画のなかには違和感を覚える作品も少なくないが、本作で描かれる1970年代の水俣の街はとても自然で、まるで日本で撮影したかと思えるほど。実は、水俣の街そのものが1970年代以降に大きく変化していたため、水俣でのロケ撮影はごく一部。残りの部分はセルビアのベオグラード港の倉庫でのセット撮影と、モンテネグロのティヴァトという海岸沿いの町でのロケ撮影で構成されている。

ティヴァトには海辺の居酒屋、舟小屋、ユージンの暗室といった建物を造り、小道具にいたるまでリアリティを追求。13世紀に建てられた修道院と、小さな難民のコミュニティがあるティヴァトの“花の島”でもロケ撮影が行われ、ここでの映像が水俣湾と見事にマッチ。70年代の水俣市の再現に成功した。

そのことに対する知識がなければ、関心を持つこともできない。そして、年月が経てば、人々の記憶はどんどん風化してしまう。世界中で同じことが繰り返されているいまの時代だからこそ、当時を知らない若い世代をはじめ、できるだけ多くの人たちに、ジョニー・デップが役者人生をかけて作り上げた本作が発信する普遍的なメッセージを受け取ってほしい。

文/石塚圭子


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