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「名前をなくした女神」的文化はママ友関係をうまくやるための知恵である

9月7日(金) 10:00

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「名前をなくした女神」的文化はママ友関係をうまくやるための知恵である
かつて『名前をなくした女神』というドラマがあった。ママ友関係のドロドロを描いたドラマで、「名前をなくした女神」とはすなわち、「母親という生き物」のことである。
それまで、〇〇さんという名前で呼ばれていたのが、子どもを産んだとたんに「●●ちゃん(子どもの名前)ママ」と呼ばれるようになるから、「名前をなくす」のだ。


私が初めて出産し、退院後初めての健診に行ったときのこと。
小児科の診察の順番待ちをし、いざ子どもの順番が回ってきたとき、子どもの名前を呼ばれて「お、おぅ…」とうろたえた。それは、「この健診の予約から付き添いまですべて私がやっているのに、呼ばれるのは意志表示もろくにできない新生児なのか」と思ったからである。

でも、それは当然だ。診察を受けるのはその新生児なわけなのだから。これについては、その後予防接種や健診、体調不良などで小児科へ足しげく通い始めることで慣れていった。

しかし、その次に戸惑ったのが保育園の入園である。
上の子が認可保育園の1歳児クラスに入園して20日ほどがたち、保護者懇談会が開催されたときのことだ。この保護者懇談会では、なるべく子どもを誰かに預けて参加するようにいわれていた。つまり、大人だけの集まりである。

だから、私はワクワクしていた。これは異業種交流会じゃないか。いろんな業界の人と知り合えるチャンスだ。違う業界の話を聞いてみたいし、もちろん自分の話もしたい。とくに「会社勤めではなく、自宅で仕事をするフリーランスである」ということは皆に知ってもらわなければ。

そう思ったのは、私は平日の昼間に昼食や取材帰りなどで近辺をうろうろすることが多いからである。そんなとき、産休・育休中の母親にばったり出くわすことがあるのだが、向こうからすると「専業主婦なのに不正をして入園しているのでは……」と思われかねない。

もちろん、我が家は認可保育園の入園の要件はちゃんと満たしているし、担任も我が家の状況はわかっているので、後ろめたいことは何もない。しかし、フリーランスで働く人が勝手に自治体に「あの家は不正入園です!」と投書されたという話も聞く。そんなことになったら……と思うと、恐ろしいのだ。

そんなことを考えているうちに、自己紹介タイムがやってきた。しかし、担任の言葉を聞いて唖然とした。

「さあ皆さん、自己紹介をしましょうか。お子さんの性格についてひとりずつどうぞ」

えーっ! 自分自身の自己紹介はできないの!?

次々とほかの保護者が話すわが子の自己紹介を聞いて、クラス担任は「うんうん」「ですよねー」と頷いている。つまり、子どもの性格について、担任はすでにある程度把握していることがわかる。

ということは、この自己紹介はほかの保護者向けということになる。しかし、この場にいない、しかも入園したてでろくに名前と顔が一致しない子どもについて、
「うちの子はお兄ちゃんの真似をするのが好きで……」
「うちの子はバナナが大好物なんです」
などと言われても、いまいちピンとこないのだ。

ああ、なんという茶番なんだろう!
これは保護者の集まりではないのか。
子ども抜きで保護者同士が交流する場ではないのか。
なのにどうして保護者の人となりがわかるような自己紹介をしないのか!

……そう考えているうちに恐ろしいことに気づいてしまった。

今まで「名前のなくした女神」になるのは、子育てに人生のすべてを捧げ、母親であることこそが自尊心のよりどころになっている女性だけの話だと思っていた。

そうではない。反対なのだ。
子どもを持つと、まず強制的に「名前をなくす」のである。
その母親が何者であろうと関係なく。

しかし、当時「仕事の話をすれば自己紹介になる」と考えていた私は、今考えてみると相当おめでたかった。世の中には仕事を知られたくない人もいるからだ。

たとえば、勤務医をしている女子高時代のクラスメイトも、「ママ友の前での自己紹介では、『ちょっとおつとめしてます~』と言ってお茶を濁すよ」と言っていた。確かに、「私は医者です」なんて言おうものなら、「すっごーい」「お金持ちィ」とか言われたり、無料健康相談をされたりして、まともな日常会話が成り立たなくなりそうだ。医師に限らず、少し想像力を働かせれば、詳しく知られると面倒くさい仕事、業務に支障が出る仕事なんていくらでもある。

それに、認可保育園というのは、必ずしも両親ともに仕事をしているわけではない。生活保護を受けている家庭や、保護者が病気や障害などを抱えていて家庭で十分に養育できない家庭もある。だから、仕事の話が共通の話題とは限らないのだ。

それなら、我が家の休日の過ごし方とか、その家族の教育方針とかがわかるようなネタを話せばいいんじゃないか。それだって保護者のキャラクターがよくわかる自己紹介だろう。

そう思ったが、それもよく考えたら地雷なのだ。何せ、休日の過ごし方や家族の教育方針というのは、格差が如実に表れるわけだから。

認可保育園というのは、世帯年収も家庭環境もさまざまな家庭が集まる場である。そして、そのさまざまな事情を抱えた家庭が協力し合う必要がある。そんななかで、「我が家の休暇は軽井沢の別荘で過ごすざます」などとむやみにマウンティングしていたら反感を買うだけで何のメリットもないのである。

そういうわけで、親同士のつきあいにおいて、「名前をなくした女神」でいるというのは理にかなっている。格差をなるべく表面化させないための配慮なのだ。

もちろん、子どもへの接し方や持ち物、会話の端々からだいたいの家庭の持つ雰囲気は徐々にわかってくるものだ。だから、最初は素性を明かさずに当たり障りのない会話をして表面的につきあい、そのうち「この人なら話が合いそうだな」という人に対してだけ家庭の事情を小出しにするというのが社交のコツなのだろう。

しかしまあ、慣れてみれば「名前をなくした女神」でいるのは、それはそれで心地の良いものだということもわかってきた。自分は何者なのかを隠して、黒子のようにひっそりと過ごすというのは「フッフッフ……。保育園での私は、世を忍ぶ仮の姿。本当の私は誰も知らない……!」とワクワクするのだ。しかしそう思えるのは、自分の名前で生きられる世界を持っているからである。この「自分の名前で生きる」というのは、何も仕事をしているだけとは限らない。ママ友以外の友人と交流することも含まれると思う。

でももし、そんな世界を持っていなければ……?
きっと「自分は何者であるかを誰かに知らしめたい」というやり場のない欲望がムクムクと膨らんでいくに違いない。そして、黒子であるはずの親がわが子を飲み込む形で自己実現を目指してしまうのではないか。

世の中にはそんな目にあいながら成長した人々の、親への怨嗟であふれている。だから、親としての務めを最低限果たす前提はあるものの、母親以外の顔は持っておいたほうがよいと思うのである。

今井 明子
編集者&ライター、気象予報士。京都大学農学部卒。得意分野は、気象(地球科学)、生物、医療、教育、母親を取り巻く社会問題。気象予報士の資格を生かし、母親向けお天気教室の講師や地域向け防災講師も務める。

「「名前をなくした女神」的文化はママ友関係をうまくやるための知恵である」記事詳細はコチラ


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