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咆えろ! 幕末キャノン! 

5月18日(金) 19:43

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■ ミリタリーマニア必見! 幕末の海防大砲<東京・関東編>

プチャーチンから贈られた『鋼製三十封度船用加農砲』。他方でシビアな条約交渉を進める中、大災害の痛みをともに癒す友好の証にもなった。

幕末維新の魅力は、多彩なアングルで楽しめる幅広さと奥行きの深さ。男たちの友情や手に汗握る剣のバトル、謀略渦巻く政治劇にお姫様や芸妓の恋、そして誰もが日本の未来のために駆け抜けた熱いドラマと、自分の好みにあわせた楽しみ方を選べる。

そんな選択肢の1つに、ミリタリーがある。幕末は戦国古来の旧式兵器や戦術が、近代的な洋式のそれらに一気に改革された時期。ということで、GWはグルメやガーリー史跡の記事を連発した反動もあり(?)、今回はググっとミリタリー寄せ、東京と近県で見られる幕末の大砲特集だ!

■ 開国? 鎖国? どちらにしろ海防!

一発目は東京の千代田区九段にある靖国神社。もともと幕末維新期に倒幕・新政府の側で奔走し、命を落とした人々を慰霊する招魂社としてスタートしているだけに、まず神社そのものが幕末史跡だ。境内にも桂小五郎が塾頭を務めた神道無念流の練兵館跡や、幕末はもちろん古代から現代までの“日本の戦い”を展示した遊就館など見どころがあるが、今回の目的は幕末砲。境内には幕末の3門の大砲があるのだ!

1門目は“ディアナ号事件”で有名なディアナ号の『鋼製三十封度船用加農砲』。嘉永7年(1854)11月4日、日本とロシアの通商条約の交渉のため、伊豆下田に来ていたロシアの新鋭艦・ディアナ号は、この日突如発生した安政東海大地震と大津波で大破。航行不能になった。

この時ディアナ号に搭載されていた52門のうちの1つが、この大砲なのだ!(ちなみに「加農」と書いてカノン(キャノン)と読む)。

大津波にもまれて42回も回転し、艦の備砲の倒壊で水兵を失っていながら、指揮官のプチャーチンは、それ以上に被害を受けた下田の人々と町を救済するため、副官と医者の派遣を申し出た。徳川幕府はいたく感激し、下田に近い戸田(へだ)村の港で、日露協力してディアナ号に代わる船を建造することを許可した。

その返礼として、プチャーチンは備砲を幕府に寄贈。天城山の木材で新造された船は、村の名をとってヘダ号と名付けられ、翌年3月、プチャーチンはこのヘダ号に乗って日本を離れたのだった。

靖国神社にある残り2つの砲は、どちらも遊就館の入口近くにある。入口に向かって左にあるのが、薩摩藩の『青銅百五十封度陸用加農砲』。製造は嘉永2年(1849)、島津斉興と斉彬二人の藩主が(互いに反目しながらも)進めた藩の洋式化の一環で、鹿児島の天保山砲台に備えつけられたものとされる(砲身のライフリングは明治期に刻まれたもの)。

薩摩砲の反対側、遊就館の入口に向かって右側には、『青銅八十封度陸用加農砲』が展示されている。こちらは安政元年(1854)に幕府が湯島馬場大筒鋳立場で造らせ、品川の台場に置かれたという砲だ。現在のお台場から天王洲のあたりに、幕末の頃には外国船から江戸を守るべく幕府が急ピッチで築造した複数の台場があった。それらの台場の1つに配備されたのが、この80ポンド砲という。

こんな感じで、靖国神社はロシア・薩摩・幕府製の3種の大砲を一気に見られるおトクなスポット。これらの砲の製造年や技術については異説もあるが、大事なのは「西洋列強が武力で開国を迫った」外交の重大時期の砲ということ。開国と攘夷どちらの立場であれ、「外国と同等の戦闘力を備える」海防が急務であると、幕府も諸藩も理解していたことをこれらの遺物が伝えている。

■ 若き日の龍馬も海防に燃えた!?

お次は東京品川の京急線立会川駅近くにある、浜川砲台のホーイッスル砲だ。我ら【ボクらの維新通信社2018】も、記事や動画で何度かご紹介している立会川。ここ数年で史跡整備やイベントの開催が進み、東京の新しい“龍馬スポット”としてアツく注目されているここにも、幕末の大砲がある。

徳川幕府の命を受けて、全国諸藩で海防の意識が高まる中、土佐藩も嘉永7年、江戸城と城下の防衛のため、北品川に所有していた抱屋敷に砲台を築いた。それが浜川砲台で、剣の修行で江戸に来ていた20歳の坂本龍馬も、この砲台の警備についたのだ。

2015年、そうした縁から品川龍馬会を中心に集められた募金で、“原寸大”の『30ポンド6貫目ホーイッスル砲』が復元された。以前は、砲台の礎石が発見された立会川沿いに説明板と石があるだけだったが、今では新浜川公園に砲が復元され、礎石も移設されて見ごたえある史跡に生まれ変わった。

■ ワシが考える最強の大砲

東京からちょっと足を伸ばして茨城の水戸。ちょっとどころかけっこう離れるが、幕末のここ水戸藩のお殿様だった徳川斉昭は、先々週くらいまでNHK大河『西郷どん』でも描かれていたように、かなりキャラの立った人物だった。自信と行動力に満ちて、頭も聡明で発想力にもあふれ、そのアイディアが行き過ぎてトンデモ大砲を発明してしまった。

その名も『太極砲』! 炸裂弾を飛ばす臼砲で、名前からして最強感が漂っている。斉昭の理想では、現代のクラスターマインのように敵の上空で炸裂し、面攻撃できる“つおい兵器”になるはずで、自信を持って幕府にも献上したのだが……実は致命的な欠陥があった。

それは飛距離。西洋列強の艦砲や大砲にははるか及ばぬ射程だったといい、もし実戦で配備されていてもほとんど役立たなかっただろう。

水戸の烈公の珍発明はこれだけじゃない。1916年ソンムの戦いにイギリスがマークⅠ戦車を実戦投入する50年以上も前、斉昭は人類史上初の近代戦車『安神車』を造らせていた! ……と言いたいところですが、要は牛車です。周囲を鉄板で覆った釣り鐘に銃手を入れ、架車に乗せて牛に曳かせるっていうね。すごく良く言ってチャリオット。馬よりノロいけど。

太極砲は偕楽園に隣接する常磐神社の義烈館で、安神車は水戸駅からほど近い水戸東照宮で見られる。今ではトンデモ珍兵器として笑えるが、同時代の島津斉彬や鍋島閑叟のリアリズムに比べて、こんなもので西洋の近代兵器と戦えるとホンキで考えていたのならコワい……。

最後は埼玉県川口市のある企業の大砲をご紹介しよう。幕末に西洋列強の圧迫を受けた幕府や諸藩は、大砲を造り、台場を築いて防備を整えたが、どの藩にも兵器を製造するための反射炉や鋳鉄炉があったワケじゃない。

そこで、各地の鋳物職人たちに白羽の矢が立てられた。現代の川口市は鋳物のメッカだが、この産業の起こりは江戸時代後期だ。当時、鋳物師として高名だった増田安次郎には大砲の鋳造依頼が多数舞い込み、嘉永5年(1852)から安政5年(1858)までに213門もの大砲を造り、幕府や諸藩に納めたという。

そして現代、この安次郎を初代とする川口市の増幸産業株式会社では、幕末に西洋の近代工業と製法にチャレンジした精神を受け継ぎ、現代の鋳物師たちが安次郎作の18ポンド砲のレプリカを造り、社屋前に展示している。

見学は平日の営業時間帯なら可能で、団体以外は予約も不要とのこと。ラッキーで社員の方が近くにいたら説明してくれる場合もあるそうだが、同社の敷地内にお邪魔しての見学だから、マナーとエチケットを大切に。

幕末の大砲は全国各地にけっこうな数が遺されている。それらの遺物は、平和に開国して通商を始めるにも、強固な姿勢で夷狄を打ち払うにも、当時の国や自治体のリーダーたちは「どちらにしても相手並みの戦闘力を備えることが必要」と考えたことを物語っている。そうでなければ、対等な交渉のテーブルにつけないのだと。立場と思想は違えど、みなリアリズムに即して「まずは海防から」に励んだのだ。と締めくくりたかったのだが、あの珍兵器を見ちゃうと、水戸だけちょっと違ったかもしれない。

■ 今週の『西郷どんナナメ斬りッ!』

幕末維新が大好きな俳優・声優・歴ドルたちが、NHK大河ドラマ『西郷どん』をより広く深く、いろいろなアングルで楽しんでもらおうと語りまくるトーク動画。今回はドラマの第18回から、奄美大島の“黒糖地獄”がテーマ。字面を見ると黒糖スイーツを苦しくなるまで食べる行みたいですが、さにあらず。奄美にルーツを持つマペヲ隊員が思わず涙ぐむほど(?)、島人を苦しめた過酷な仕打ちに、はたして西郷どんは関与していたのかいなかったのか!? 西郷どんが招く「災い」の推理ともども、お楽しみください♪(東京ウォーカー・ボクらの維新通信社2018/ロバート・ウォーターマン(KUROFUNE-United))


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