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転落死「太地喜和子」が最後に立ち寄った「ランジェリースナック」

2月27日(土) 5:15

 さまざまな女を演じ、奔放な男性遍歴を重ね、酒を豪快に飲む――。女優の太地喜和子の人生は、その名のとおり太かったとはいえ、自動車ごと海に落ち、短くして途絶えるとは、本人も思わなかっただろう。あの晩、何があったのか。

 ***

「あの時、男優が“オーライ”って言うからバックしたのよ。彼は酔ってベロベロでしたけどね。車が後ろからスーッと海に入ってズルズル行っちゃう途中、もっと窓を開けようとしたことまでは覚えているんですけど。あとはいきなり水が入ってきて、苦しかったことしか覚えていません」

 48歳の太地を乗せた車が海に落ちたのは、1992年10月13日午前2時すぎ。運転していた斉藤静江さんは事故から6年後、本誌の取材にこう語っていた。

 1カ月にわたる旅巡業が翌日終わるはずだった10月12日の晩、太地は男優2人を伴って、静岡県伊東市の街に繰り出すと、まず「かっぽれ」という割烹で、刺身などをつまみながら生ビール、続いて焼酎のボトルを1本開けた。あらためて従業員に尋ねると、

「亡くなった父が店をやっていて、私は厨房にいました。父は兄、つまり私の伯父がやっている“スナック妍(けん)”を紹介したんです」

 かっぽれから妍まで歩いて行く途中、「ランジェリースナック志づ江」の前を通ったが、ともかく一行は妍に向かった。妍の従業員が当時を振り返る。

「3人は父の弟の紹介でこの店に来ました。太地さんは薄化粧でしたが、華があっていかにも女優さんでしたね。でも、カラオケも歌わず、30分くらいで出て行ってしまいました。うちに来る途中、“志づ江”のママに“うちに来ない?”と誘われていたんです。その店は斉藤静江ママが1人でやっていて、色っぽい店名ですけど下着姿の女の子がいるわけでもなく、女性モノの下着が何十枚も壁に飾ってある。みな新品で、欲しくなったら買えるんです。変な店でしょ?」

■雨だったから

 太地たちが「志づ江」にやってきたのは、日付が変わる少し前。斉藤静江さんはこう語っていた。

「“太地さんですか”と聞いたら“おかげさまで”って。そのうち勝手に店の戸に鍵かけちゃって。いい迷惑ですよ。あの晩、私は下痢してて酒は飲まなかった。彼女はトライアングルのウーロン割り。すでにかなり飲んでたけど、滅茶苦茶強い。“こんな店でも伊東に来たら来てやるか”とかカチンとくる言葉は多かったけど、いい人でした。彼女が“最後に海見たい”と言って、タクシー呼んだら来ないから、“私のスプリンターで”となった。観光桟橋に停泊している貨物船の船長が私の友だちで、いつも船で寝てるから、起こして船上から海を見ようという話になったんですが、これも縁ね。呼んでもいなかった。天候が悪いから帰っちゃっていたんです。桟橋の駐車場で全員車を降りて海を見て、彼女は“潮の香り、サイコー!”って両手を広げていた。そうしたら小雨が降ってきて。ホテルは近いんだから、みんな歩いて帰ればいいのに、雨だったから車に乗ったんです」

 前出の妍の従業員が、

「ちょっと情緒不安定気味で、この地域では変人と見なされていた。運転も、お世辞にも上手くなかった」

 と振り返る静江ママは、今は行方が知れない。かつて本誌記者に、

「私は人を殺したんです」

 と語った時、ママの手首には切り傷があった。

「60周年特別ワイド 『十干十二支』一巡りの目撃者」より

「週刊新潮」2016年2月25日号 掲載


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