Amebaニュース

震災後初の大会開催:被災地サーファーの復興にかける思い

6月20日(水) 15:00

本日、6月20日はインターナショナル・サーフィン・デー。
これは米サーフィン・マガジン誌とサーフライダー・ファウンデーションが2004年に制定した日。目的はサーフィンを謳歌することとサーフポイントとなる海岸環境の保全。

そう、常に大自然と向き合うサーファーはとても環境意識が高いのだ。

これはもちろん日本のサーファーも一緒だが、その中に地元海岸の汚染問題に苦しまされてきた人たちがいる。

宮城県七ヶ浜町菖蒲田浜。仙台市から車で40分ほど東に走ったところにある仙台地区有数のサーフポイントだ。

2011年3月11日、菖蒲田浜は津波で甚大な被害を被った。被災後はサーフィンどころの状況ではなかったものの関係者の弛まぬ努力によりついに6月10日、震災後仙台地区初めてのサーフィン・コンテスト「第26回 七ヶ浜町長杯 東日本大震災復興記念大会」を開催するまでに至った。

しかしそこまでの道のりは一筋縄ではない。大会主催者であるサーフショップ・マティーズのオーナー星利成さんは語ってくれた。

「元々ビーチクリーンといって月に一回みんなでゴミ拾いをしていたんですが、震災の翌月からはもうみんなで海岸の清掃をしていました」

とはいえ災害の規模は想像を絶するものだ。海岸はおろか町中に瓦礫が散乱する中での作業は困難を極めた。

それでも徐々に作業を進め、半年後の9月頃にはサーフィンができるような状態にすることができ、行政へサーフポイントの開放を訴えた。

しかし問題は瓦礫だけでなはなかった。放射能による水質汚濁も懸念され、なかなか許諾はおりない。それでも「菖蒲田が少しでも多くのサーフポイントの開放のきっかけになれば」(星さん)という思いからあきらめることなく努力は続けられた。

「避難経路の看板も設置しましたし、水質検査も続けました。そして11月にやっとOKしてくれたんです。みんながずっと黙々とビーチをキレイにしてきた姿をずっと見て、(開放を)決めてくれたんだと思いますよ」

11月11日。震災から8ヶ月後に菖蒲田浜はついに開放される。それまでサーフィンをするために青森や日本海、茨城までを転々とせざるをえなかった地元サーファーたちの胸に去来した万感の思いは言葉にならなかっただろう。

そして今年の6月10日、四半世紀以上に渡って続いていながら昨年中止を余儀なくされた「七ヶ浜町長杯」が再開された。

この大会は日本サーフィン連盟の最上位、AAランクに位置づけられ約250名のサーファーが集まる「東北6県最大の大会」(星さん)だ。

プロサーファーにとってはポイントを稼ぐための大会の一つといえなくもないが、北海道から大阪まで、例年と比べるとかなり広範囲な場所からのエントリーがあったことを考えても、海とともに生きるサーファーたちにとってはこの大会再開の象徴的意味は決して小さくなかったのだろう。

大会が無事大盛況裏に終わったあと、星さんは全国の方への思いを語ってくれた。

「震災直後からボランティアの方が毎日ビーチクリーンをしてくれていたんです。支援をしてくださっている皆さんには本当に感謝でいっぱいです。七ヶ浜がよりよいサーフタウンとなり復興のモデルケースにすることによって、少しでも多くのサーフポイントが開放されることを祈っています」

大会当日、早朝に降っていた雨は気づけば上がり、眩い陽光が差し込んでいたという。その時に空に架かった虹が、何の心配もなくビーチを満喫できる明日への架け橋になることを望んでいる人たちがいる。
(鶴賀太郎)
大会前に犠牲者に黙祷を捧げる。写真左から2番目(白いTシャツ)が星利成さん。
(写真提供:sendaishinko.jp)
水質検査は今も定期的に行われている。被災地に限らず一般的にサーファーの環境意識は高い。
(写真提供:Surf Shop Matty's)
「七ヶ浜町長杯」は東北最大のサーフィン・コンテスト。男女、シニア、ビギナー、様々なクラスでエントリーできる。
(写真提供:sendaishinko.jp)

【関連リンク】
自粛から解禁へ。海を愛するサーファーたちの葛藤と決断(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース
木板で波乗り!? サーフボードの原点「アライヤ(波板)」の魅力(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース
ビキニの似合う体に! ハワイで注目のブートキャンプ(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース
Excite Bit コネタ

コラム新着ニュース

編集部のイチオシ記事

この記事もおすすめ

コラムアクセスランキング

注目トピックス

アクセスランキング

写真ランキング

注目の芸能人ブログ