「最初はお笑いに本気じゃなかった」東京ホテイソンたけるを変えたもの
2020年の『M-1グランプリ』ファイナリストで、2021年は敗者復活戦出場。朝の情報番組で曜日レギュラーを務めるなど大活躍のお笑いコンビ・東京ホテイソン。
「い〜や、〇〇!」と備中神楽の節回しを取り入れたツッコミでお馴染みのたけるさんですが、意外にも結成当初は「お笑いに本気じゃなかった」「相方には常に怒られていた」のだとか……!そんなたけるさんに、過去のAmebaブログも読み返していただき、結成当初から今日までの変化を語ってもらいました!
東京ホテイソン たける
芸人
1995年生まれ、岡山県出身。幼少から親しんだ郷土芸能「備中神楽」にルーツのある独特のツッコミ芸で人気を集める。TBSの朝番組『ラヴィット!』(月曜〜金曜 8:00〜9:55)の金曜レギュラー。2022年5月に第一回単独公演「洒落柿」にて全国ツアーを予定。
1995年生まれ、岡山県出身。幼少から親しんだ郷土芸能「備中神楽」にルーツのある独特のツッコミ芸で人気を集める。TBSの朝番組『ラヴィット!』(月曜〜金曜 8:00〜9:55)の金曜レギュラー。2022年5月に第一回単独公演「洒落柿」にて全国ツアーを予定。
“4年連続準決勝”からようやく進めたM-1決勝の舞台
――2020年のM-1でファイナリストになってからこの1年、東京ホテイソンさんにはどんな変化がありましたか?
この1年で、生活はガラッと変わりましたね。シンプルに仕事が増えて、ありがたいことに前年の倍くらいになりました。
あとは、ゴールデン番組で憧れの芸人さんと共演させてもらえたり、『笑点』など祖父母も見てくれるような人気番組に出られたりしたのも嬉しかったです。
――2017年から4年連続で準決勝に行かれていましたが、「自分達に流れがきてるな」みたいな感覚はあったのでしょうか?
いや、そんなことは全くなくて。初めて準決勝に行ったときは別としても、その後は話題にもならないんですよ。次こそ!と思っても決勝手前で落ち続けて、「これもう、しんどいなぁ」っていう。
仕事も少しずつ減ってきたような状況でようやく昨年、決勝に上がれて、延命できたくらいの感覚でした。自分達としては今もまだ全然売れてないし、頑張らないとっていう気持ちです。
――決して順調だったわけではなかったんですね。
そうですね。2年目の終わり頃に、今の形の「い〜や、なんとか!」ってネタができたのは大きかったと思います。
その後にショーゴが「もっとウケるはず」と言うので、前髪を上げて、眼鏡かけて、ベージュの衣装というスタイルになりました。最初は「昔ながらの漫才師すぎないか!?」と思ったんですが、実際にやってみたらウケ方が変わって。
結成3年目の年に準決にも行けたので、今となっては正解だったなと思います。
――初めて準決勝進出したときには、まだ結成3年目だったんですね。
そうなんです。初めて準決勝に進出したとき僕は22歳で、周りからはよく「若いね」と言ってもらいました。
今考えると、確かにいろんな意味で若かったなと思います。当時はまだ大学生大学で、お笑いにもそこまで本気じゃなくて……。仕事として真剣に向き合うようになったのも、この頃からだった気がします。
相方に怒られお笑いを勉強して「ようやく芸人になれた」
――「お笑いに本気じゃなかった」というのは意外でした。もともと芸人を目指していたわけではなかったのでしょうか?
芸人になる前、大学生の頃は「有名になれればなんでもいい」という感じでした。
最初は読者モデルを目指していたので、大学がある多摩から原宿まで出てきて、スナップを撮ってもらえるように歩き回ったりとかして(笑)。でもうまくいかずに、挫折してしまいました。
それで、バラエティ番組は好きだったし、芸人をやってみるかと。相方募集掲示板で最初のコンビを組んだのですが、解散してしまいました。
「もうこのまま就職でもいいかな……」と半分諦めの気持ちで相方募集掲示板に書き込みをしたところ連絡をくれたのが、ショーゴだったんです。大学2年の頃で、まだ軽い気持ちした。
――そんなたけるさんが「お笑いを真剣にやっていこう」と思うようになったのは、なぜだったのでしょうか?
コンビを組んで2年くらいは、プロ意識がなくて遅刻もあったんです。それで、ショーゴにめちゃくちゃ怒られて。
――当時、ショーゴさんによく言われていたことなど、思い出に残っていることはありますか?
いや、本当に積み重ねというか。何を言われたかは、あんまり覚えてないんですよね…。
出来事はまだ覚えてます。大事なネタ番組の打ち合わせ前日に、僕が朝まで合コンしてたことがあって…。
うたた寝状態で打ち合わせに臨んで、ショーゴにめちゃくちゃ怒られました。そのときが一番怒られたと思いますね。
「俺も真面目にやらなきゃダメだ」と、徐々に仕事とちゃんと向き合うようになりました。ショーゴが僕を指導して、正しい道に進ませてくれたような感じです(笑)。
――そんなこともあったとは……!ちなみに、お笑いはもとから好きだったのでしょうか?
『エンタの神様』や『レッドカーペット』を見てたくらいで、当初はネタの作り方もお笑いの基本も全然わからなかったんです。芸人って当たり前のように歴代王者を言える人が多いんですけど、僕は誰が何年優勝とかはわからないレベル。
だから、お笑いはもう基礎から勉強しました。
――具体的には、どんなことをされたんですか?
これもショーゴに言われて、M-1決勝出場コンビのネタを中心に、ネタの文字起こしをしていました。良くないことですけど、大学の授業中にもやってましたね。
それを2〜3年続けるうちに、ツッコミのタイミングやイントネーションが、少しずつインプットされていったのかなと思います。
……昔よりはって話で、今も全然わかっちゃいないですけど(笑)。
ショーゴは最近よく「お前は俺の作品だ」って言うんですよ(笑)。でも確かに、あいつの「これしろ、あれしろ」というのをやって、ようやく芸人になれた感じですね。
ときには「面倒くさいなぁ」と思うこともありましたが、ショーゴは最終的に一歩譲ってくれるんです。僕が「もうダメだ」ってなったら、「わかった。じゃあこれはいいから、こっちをやってくれ」みたいな。やめずに続けられたのは、それもあると思います。
結成当時のブログを振り返って
――たけるさんは2015年のコンビ結成当初、Amebaブログを書かれていましたよね。ぜひ当時のエピソードについてもうかがいたいです。
ああ〜。確かに、当時やってたかもしれないです!たぶん20歳くらいのときですね。
……でも、全然覚えてない(笑)。
最初の更新が2015年1月……。
僕らは事務所に入った2015年を結成年にしてるんですけど、コンビで活動しはじめたのはその少し前なんですよ。だから、結成してまだ4ヶ月ぐらいのときにブログをはじめたんだと思います。
……でもこれ、やってんなぁ(笑)。カッコつけようとして、めちゃくちゃ嘘ついてます。
「小さい頃からかじりつくように見てたM-1に出て、一回戦突破することができました」って、小さい頃にかじりついて見たことなんか1ミリもないのに!(笑)
いやぁ、懐かしい。「こういうこと考えてたんだ」「こういう状況だったんだ」と、当時の自分の心情を振り返れるのはいいですよね。
僕にとってブログは、デジタル上に残っている日記のようなものです。
憧れだった千鳥さんにもらった嬉しい“褒め言葉”
――今も覚えていることや印象的だったことはありましたか?
当時、僕達がチラっと映った番組に、千鳥さんがいらっしゃったときのことは覚えてますね。話しかけたかった気持ちを抑えて、共演したときにちゃんと挨拶しようと決めたっていう。
千鳥さんとはその2年後くらいに『そろそろ にちようチャップリン』というネタ番組で共演させてもらい、ご挨拶できました。
収録でやったネタがウケて、しかも千鳥のおふたりがぼそっと「こいつら、おもろいなぁ」って言ってくださっていたそうなんです。マネージャーからそれを聞いて「うわ、嬉しい!」ってなったのを思い出しました。
――当時の自分が見たら驚く「変化」はどんなところだと思いますか?
まずは、テレビに出られていることですかね。番組に出て、千鳥のおふたりに「たけるはどう思うん?」と聞かれたり、それこそ今は、朝の番組で麒麟の川島さんに「ショーゴどうなん?」と振ってもらったり…。
当時憧れていた人たちに話しかけてもらっているのが、本当に不思議な感覚です。
あとは、M-1決勝の舞台に立てたのもそうですね。「この舞台に立ちたい、優勝したい」という気持ちは、当時より今の方がずっと強いです。
SNSではパーソナルな部分を見せていきたい
――たけるさんは2021年からまたAmebaブログを再開してらっしゃいますが、どんなきっかけがあったのでしょうか?
Amebaさんからご提案いただいたのがきっかけです。
ちょうどSNSなどの発信にも力を入れなきゃなと思っていたタイミングだったので、もう1回やってみようかなと。
それに、何が仕事に繋がるかわからないというのもあって。ブログの何気ない発信を見つけてもらって「この企画に呼ぼう」と仕事に繋がることもあると思うので、それも後押しになりました。
――今後、ブログなどのSNSでやっていきたいことはありますか?
僕らはネタのイメージが強く、あまりパーソナルな部分を見せられていないので、発信は積極的にやっていきたいです。
ブログについては、日記っぽくやれたらなと。カッコつけずに、自分という人間が見えるブログにしたいです。
……と言いながら、最初の投稿でちょっとカッコつけが出てますね。
『このブログは本当にただその日あったことだけを書く 僕がこの世に生きていた証として残していこうと思います』って……ちょっと出てて恥ずかしい(笑)。
――最後に、これからやりたいお仕事や目標があれば教えてください。
やっぱり、M-1優勝が一番ですね。
特にコロナ禍での去年の優勝発表は、例年のように上位3組の後ろではなく、出場者みんな離れた場所に立つかたちでの発表だったんです。
だから優勝が決まった瞬間、お客さん全員がマヂラブさんに注目しているのを遠くから見たのが悔しくて。舞台の端で「あ、優勝しないとあの視線の先には立てないんだ」と思ったんです。
以前は「とにかく決勝に行ければいい」という気持ちもありましたが、今は違います。今年もまだどうなるかはわかりませんが、優勝を目指して頑張ります!
漫才コンビ「東京ホテイソン」の初全国ツアーライブが開催決定となりました。
2022年5月から全国5都市9公演を予定!詳しくはこちらをご覧ください。
https://grapecom.jp/information/news/tokyohoteison2022/