「愛してま〜す!」はありがとうの最上級。棚橋弘至が語る“不遇の時代”とファンへの感謝
「100年に一人の逸材」のキャッチコピーで親しまれるプロレスラー 棚橋弘至選手。実は2010年から11年(!)もの間Amebaブログを更新していて、プロレス界でSNSの積極活用をはじめた先駆者のひとり。
Amebaでは、11月13日に誕生日を迎えた棚橋選手にお祝いメッセージを届ける「お誕生日お祝い企画」を実施。みなさんから集まったお祝いメッセージを棚橋選手に直接お届けし、インタビューを行いました。
棚橋弘至 (たなはし・ひろし)
プロレスラー
1976年生まれ、岐阜県出身。1999年新日本プロレスに入門、同年真壁伸也戦でデビュー。01年からは同期の鈴木健三とタッグを組み「タナケン」コンビで人気を博す。IWGPヘビー級王座の最多戴冠記録保持者(第45代、47代、50代、52代、56代、58代、61代、67代)。
1976年生まれ、岐阜県出身。1999年新日本プロレスに入門、同年真壁伸也戦でデビュー。01年からは同期の鈴木健三とタッグを組み「タナケン」コンビで人気を博す。IWGPヘビー級王座の最多戴冠記録保持者(第45代、47代、50代、52代、56代、58代、61代、67代)。
- 「Amebaブログは僕のオアシス」コメントが支えに
- リング上のエネルギーを、日常に持ち帰ってもらいたい
- 会場の椅子席が1列ずつ減っていった「不遇の時代」
- 「愛してま〜す!」は“ありがとう”を最大限に伝える言葉
- 「次は、新日本プロレスを2度復活させた男になります」
「Amebaブログは僕のオアシス」コメントが支えに
僕がAmebaブログをはじめたのは、2010年。実はその時期って「不遇の時代」から風向きが変わったのを感じたときと被ってるんです。
当時、会場でブーイングを受けて帰っても、Amebaブログには「頑張ってください」「次も観に行きます」と、グッとくるようなあたたかいコメントがいくつもあって。好意的なコメントを読んで「応援してもらえているんだ」と感じられるようになったのを覚えています。
ブログは、タイムラインを眺めるようなSNSと違って、自分からアクセスして読むという「ひと手間」がかかるじゃないですか。棚橋を好きな人しか読みにこないので、他のSNSとは違ったやさしさがあるんですよね。
だから、Amebaブログはずっと僕のオアシスです(笑)。
書くことによって1日を振り返れるし、明日はどうしようかっていうことを思いながら次の日に進めるので。本当にはじめてよかったし、ほかのSNSもいろいろやってますけど、Amebaブログだけは続けていきたいなと。
実は、今でも変わらず、ブログのコメントには目を通すようにしていて。
なかにはファンが今のプロレスに何を期待しているのか、感情の変化を感じ取れるコメントもあって、そういう声を聞けるのは、すごく貴重だなと思っています。
ちなみに、ブログのコメントでもファンレターでも、ファンの方の名前はできるだけ覚えて、イベントなどで会ったら「〇〇さん!」「〇〇ちゃん!」と名前で呼ぶようにしています。
ただどうしても思い出せないときには、「ええっと、何さんだったっけ……!?」とさりげなく聞きます。そのときはすみません(笑)。
リング上のエネルギーを、日常に持ち帰ってもらいたい
僕自身もプロレスファンだったので、学生時代には「好きな選手が頑張ってるから、俺も頑張ろう」とパワーをもらってきました。
たぶんお客さんは、レスラーに自己投影をして、リング上で見せてくれたエネルギーを日常に還元するんですよね。
僕の試合でもそのエネルギーを持ち帰って、「棚橋が頑張ってるから、自分も頑張ろう」と思ってもらえたら、すごく嬉しいです。
たとえば、現在体重がほぼ100kgくらいの僕は、体重100kg以上のヘビー級では体格差や身体能力の面で負けることも少なくありません。
でも、必ずしも能力的に優れている選手が勝つとは限らないのがプロレスなんですよね。それに、たとえベストコンディションでなくても試合に出なきゃいけない、ときに苦しくても戦い続けないといけないのは、人生も一緒。そこで僕が勝ったら、きっと希望が持てるんじゃないかと思うんです。
プロレスを見てたのしんでもらえること、そこで受け取ったエネルギーを日常に還元してもらえること。それが、プロレスラーであり続けたいと思う何よりのモチベーションになっています。
素晴らしい試合もそうですが、「あのプロレスラーにハイタッチしてもらえた!」みたいな思い出って、忘れないじゃないですか。プロレスファンだった自分がしてもらって嬉しかったことは、今のファンサービスにも繋がっています。
たとえば、勝った試合後のマイクアピールとエアギター、リングサイドをぐるぐる廻ってハイタッチするのも、ファン目線ではじめたことです。
でもそのパフォーマンスが終わる頃には、他の選手はみんな着替え終わって、バスで僕を待ってたりするんですよ。さらに試合より試合後のパフォーマンスの方が長い日もあるもんだから、「棚橋はまだか?」ってライガーさん(獣神サンダー・ライガー)をイラつかせてしまったことも……。
チャンピオンになった頃も、「すみません、遅くなりました!」とコスチューム姿のまま慌ててバスに飛び乗る毎日。会場を盛り上げている自分と、会場を出た後の自分との落差がすごかったです(笑)。
会場の椅子席が1列ずつ減っていった「不遇の時代」
そもそもプロレスラーを仕事に選んだ理由は、プロレスが好きすぎて自分でもやりたくなってしまったから。
プロレスラーになったら、僕も自分に自信が持てる人間になれるんじゃないかなと思って。
本当は、新日本プロレスに入ってデビューさえできれば、自動的にスターにしてもらえると考えていたんです。
ただ、入ったときはよかったものの、2000年代、俗にいうゼロ年代は本当に厳しかった。客席がどんどん減っていって、試合がはじまっても盛り上がらないし、トップ選手たちはどんどん離脱していって……。これは、スターにはなれないぞと。
当時の人気低迷はわかりやすくて、会場の壁際まであった椅子席が、1列ずつ減ってくのがわかるんですよ。
今も覚えてるのが、岐阜の飛騨高山の会場。今だったら10列はある会場のリングサイドが、3列くらいしかなくて。
スター人材が育つには、その前にまず新日本プロレスを盛り上げなければいけなかったんです。作物を育てるのと一緒で、ちゃんとした土壌がなければ、スターは生まれませんから。
でも、最初から「俺が」と思っていたわけではなくて。2005年頃、試合前の控室で他の選手を眺めながら、ふと「これをやるのは、俺じゃないか?俺がやるしかねえ」と天啓が降りてきたんです。
それからは、練習や試合を一生懸命やるのはもちろん、各地でプロモーション活動をしたり、テレビやラジオに出演したり、ブログを書いたりと、プロレスを広めるためにできることは全部やっていきました。神の一手みたいなものはなくて、本当に一歩ずつでしたね。
そしてなかなか埋まらなかった後楽園ホールが満員になったときに初めて、自分がやってきたことの手応えを感じられました。
「愛してま〜す!」は“ありがとう”を最大限に伝える言葉
誰もプロレスに見向きもしてくれないような時代を経験したからこそ、プロレスに興味を持ってもらえること、応援してもらえることのありがたみを今も実感します。
どれも当たり前じゃなかったというのがベースにあるので、いい時期に入ったレスラーの子達とは、感覚が少し違うかもしれません。
ブログを読んでくれてありがとう。プロレスを観にきてくれてありがとう。応援してくれてありがとう。本当に、この「ありがとう」の気持ちで生きています。
なかでもファンの方への感謝でいっぱいになったのが、2006年、初めてIWGPヘビー級王者になったとき。バーナードに勝ってチャンピオンになった試合です。
その試合に勝ったとき、ファンの方が立ち上がってリングサイドの鉄柵までぐわーって駆け寄ってきて、祝福してくれたんです。
当時は「今の新日本プロレスはクソみたいに面白くない」なんて言われていたけれど、こんなにも自分を応援してくれる人たちがいるんだなと。もっと頑張らないと、と思った瞬間でした。
今でこそ有名な「愛してま~す!」というフレーズも、そこではじめて言った言葉なんですよね。込み上げるものがあったのでしょうが、今となっては「よく出たな」と思います。
そのまま捉えると恋愛で使う言葉みたいでチャラく聞こえるんですが(笑)、僕が言う「愛してま~す!」は「ありがとう」の最上級。
感謝の気持ちを最大限に伝えたいという意味で「愛してます」と叫んでいるんです。
「次は、新日本プロレスを2度復活させた男になります」
自分は「みんなで頑張っていこうぜ!」と選手の士気を高めるようなタイプではないけれど、僕は僕なりのやり方で、選手を鼓舞してきた自負があります。
チャンピオンでありながらも、自ら地方でプロモーションをして、テレビやラジオに出て、ブログやSNSでの情報を発信して、試合後のファンサービスも徹底して、誰よりも練習して面白い試合して……。棚橋がこれをやり続ける限り、他の選手はそれ以上のことをしないと超えられないわけです。
「プロレスラーは練習だけしてればいい」という時代はもうとっくに終わっている。「もっと頑張らないと俺は超えられないよ」と努力のハードルを上げることで、新日本プロレス全体に勢いがつくんじゃないかという思いでやってきました。
昔は僕ひとりで全部を背負っているような意識がありましたが、最近は自己プロデュースが上手だったり、ビジュアルでも人気があったりと、魅力的な選手が増えてきて頼もしいです。高橋ヒロムとか、オカダ(オカダ・カズチカ)とかね。
それぞれの選手に得意ジャンルがあって、発信力があって、新日本プロレスの観客動員の伸びは、ごく必然だったと思います。
プロレス界を面白くするためにも、新しい選手に世代交代していった方がいいとは思っていて、コロナ禍以前は、少し弱気な部分もあったんです。
でもコンディションはいいですし、せっかく盛り上げてきたプロレス界がコロナ禍で苦しくなってしまった今、これはまた天啓かなと。
これまで新日本プロレスでは、お客さんが入らない厳しい時代は何度もあって、その度にそれを巻き返すようなスター選手が出てきました。でも、新日本プロレスで2度の危機を救った選手はいないんですよ。
だから、次は「新日本プロレスを2度復活させた男」になると決めました。
僕がプロレスラーになれたのは、ファンの方々と新日プロレスのおかげ。ここで終わらせるわけにはいきません。「100年に一人の逸材」として、今後も全力で新日本プロレスを盛り上げていきます。
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