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この日、デヴィ夫人はドロンさんの訃報に言及し「その類稀な美貌から、1960年代から1970年代にかけて、『世紀の二枚目』として人気を博し、芸術映画から娯楽映画まで、数多くの作品に出演されました」と説明。「日本企業のCMにも出演していました」と明かし「有名な作品のなかに、『太陽がいっぱい』三船敏郎さんとの共演『サムライ』があります」とコメントした。
続けて「1962年頃にアランさんが映画宣伝で来日した際、帝国ホテルのロビーで知り合い、70年に大統領が亡くなられた後、私が一人でパリに滞在した際に再会いたしました」と回想。「パーティーで親しくなり、ちょっとしたお付き合いがあったことは、以前テレビ番組でもお話しさせていただき、ご存知の方も、いらっしゃるのではないでしょうか」とつづった。
一方で「フランスを離れ、N.Y.時代を経て」自身が日本に帰国してからは会う機会がなかったことを説明。「先日、イタリアのシチリア島にて、アランさんが演じた名作映画『レオパルド』の舞台『フガータ男爵邸』を訪れ、もう一度会って色々話がしたいと思っていた矢先の訃報でございました」と述べ「大変悲しく、寂しさが募ります」と心境をコメントした。
また「今年の1月に、パリコレクションを見るためにパリを訪れた際、ウクライナ大使より『新しく文化会館ができたので』と紹介された会館が、アラン・ドロンさんがかつて住んでいた家でした」と明かし「写真やポスターが美しく飾られ、作品の中でアランさんが着用した衣装のコレクションもあり、まるで“アランドロン会館”のようでした」とつづった。
最後に「大使から、アランさんが病気で療養中だとお聞きしましたが、時間の都合でお見舞いに行けなかった」といい「心残りです」と残念そうにコメント。「心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。