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「シンプルに端的に」の逆を行く 滝口悠生・新刊『茄子の輝き』を語る(前編)

2017年07月17日 19時00分
提供:新刊JP

「小説」や「文学」に対する一般的なイメージとして多いのは「難しくて読みにくい」「よくわからない」といったものだろう。それだけに、「どうせ最後まで読めないから」と敬遠されてしまうことが起こり得る。

しかし、「よくわからないが、抜群におもしろい」「読みにくいが、なぜか読めてしまう」類の小説は、確実に存在する。

滝口悠生氏の小説はその代表格だろう。スピード感のあるストーリー展開で、読者を物語に引っ張り込んでいく、というタイプではない。語り口はゆっくりと、迂回したり、寄り道したり、立ち止まって佇んだりのそぞろ歩き。もどかしさを感じるかと思いきや、案外それが心地よかったりする。

そんな世にも不思議な「滝口ワールド」。ご本人はどう考え、どう創りあげているのだろうか。(インタビュー・記事/山田洋介)



■揺れ動く思考と記憶を捉える

――滝口さんの小説は、作品に強烈にひきつけられるというよりは、読みながら自由に思索したり、自分の記憶を手探りしたりする楽しさがあります。こうした効果についてはある程度、意識して書かれているように思ったのですが、いかがでしょうか。

滝口:それは自分の小説の書き方と関係があるかもしれません。語り手が考えることや見るものが、ある程度の「散漫さ」を保つようにといいますか、単純な因果関係や感傷みたいなものに小説が引っ張られすぎないように気をつけています。

「そうかもしれないけど、そうじゃないかも」というように、焦点を広めにとっているのがそういう効果につながっているのかもしれません。

――語りが直線的でないといいますか、あちこちに寄り道しながら進んでいきますよね。

滝口:でも、そういうものだと思うんです。僕らが何か一つのことを考えようという時も、目的に一直線には向かわずに色々なところを寄り道したり、別のことを考えたりしながら思考が進んでいく。

人が何かを考えたり、思い出したり、言葉にする時、向かおうとしているのとは別の方向に行ってしまうことは往々にしてあるわけで、それが一つの自然な形として小説の中に残るようにはしています。

――新刊『茄子の輝き』も、まさしく語り手の散漫さが心地いい作品です。回想と現実が気ままに入れ替わるなかで、語り手が時折思い出す離婚した妻の周辺の出来事が定点のようになっていますが、それも時期が前後していたり、揺れ動いています。



滝口:思い出すきっかけや時期が違えば、同じ人の記憶であっても場面や姿が違うはずですし、思いもよらないことを思い出すこともあります。

たとえば、あるきっかけで10年間一度も思い出さなかった出来事を思い出して、10年間思い出さなかったこと自体に考えが及ぶこともある。何かを思い出すというのは、そういう風にふらふらして、整理されないものなので、それを書く時もきれいな輪郭にはならないんです。

――この作品がどのようにできあがっていったのか、お話をお聞きしたいです。

滝口:この本の最初に入っている「お茶の時間」という短編が、単独で発表したものとしてまずあって、少し時間をおいてから続きを書いて、ひとまとまりにしていった感じです。だから、本になった時のイメージが最初からあったわけではありません。

「お茶の時間」を書いた時に考えていたのは、小さい会社のこじんまりとした職場の雰囲気を書いてみようというのと、震災から少し経った後の東京を書きたいというものでした。

――想像力のきっかけとして震災があったのでしょうか。

滝口:きっかけというわけではないです。小説の中の時期としては震災後なんですけど、震災後の東京の雰囲気を書きたいというよりは、そこにいる「人」を書きたいというのが主でした。

だから、震災についてダイレクトに触れている部分というのは少なくて、誰かの考え方や行動や、ある場所についての描写のなかに「触れずには済ませられないこと」として出てきます。

――先ほどの書き方のお話からしても、滝口さんはユニークな小説観をお持ちのような気がします。ご自身が考える「小説の定義」を教えていただけませんか。

滝口:今の話と重なりますが、今回の作品も含めて、誰かが何かを思い出すということは、小説のありようととても近いものがあると思っています。

人が対面している誰かや目の前にはいない誰か、あるいは自分の中のいるのかいないのかわからない相手に向かって何かを言葉にしようとする時というのは、広い意味で何かを思い出そうとするということと同根なのかもしれません。

いろいろな小説があるので、すべてに当てはまるとは思いませんが、自分にとっては小説を支えるものは語り手の記憶であり、その記憶にアクセスすることが小説を動かす力になっています。

――文章を書くことを生業にしている方が、自分の書いた文章を削除する時というのが気になります。滝口さんはどんな時に文書を削りますか?

滝口:もちろん、不要だから削るのですが、問題はなぜ不要なのかというところですよね。

いろいろなケースがありますが、多いのは「自分にとって書きたいことだったんだけど、その小説の部分としてはいらない」というケースです。そういう箇所って、その部分だけ読めばおもしろかったりするんですけど、そのおもしろさは長い小説の文章の一連のなかでのおもしろさとは質が違うんです。読み返すとそういう場所が見えたりするので、そこは削りますね。

だから、発表する前の段階では、原稿用紙何十枚分かをバサッと削ってしまうこともあります。そこまで落とすとなると、その部分に何書いてたんだっていう話ですけど(笑)。

――編集者から「この部分は不要じゃないか」という指摘がくることもあるわけですよね。

滝口:もちろんあります。「お茶の時間」は、もともとある小説の前半部分だったのですが、推敲の過程で捨てた原稿を、すこし時間をおいてから短編の形で書き直したものです。

削除したきり使わないものも多いのですが、時間をおいて、どこがいけないのか考えて、登場人物のサイズ感を変えたりすると、別の小説になることもあります。

(後編につづく)

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